Victoriaの日記

Victoriaのつれづれ日記です。

2014年04月

こんにちは。Victoriaです。


お年を召しても、
元気でいらっしゃる方って、
たいてい、




いつまでたっても新しいことに挑戦してるのよ~




っておっしゃるけど、
人間、
新しいことに挑戦しなくなったらアウトなの?




それって、
老化の始まりなの?




たぶん、
世の中とインタラクティブに暮らしていたら、
世界は刻一刻変化し続けるのが常ですから、
こっちもそれに対応して、
変わらざるを得ないということだと思うので、
もしも、
新しいことに挑戦していない自分がいるとすると、
それは、
世の中の流れについていけていないことになり、
サバイバルの観点から見ると、
非常にキケンなことだということですね・・・




今年は、
なるべく交通費を使って、
遠出するようにしようという計画をたてたので、
多少無理してでも、
あちこちでかけるようにしてます。




とは言っても、
日帰りできるところに限られるんだけどね・・・




やっぱり、
いつもと違う風景を、
目に焼き付けるっていうのは、
とても意味のあることだと思う。




そんなとても簡単なことが、
決まった時間にオフィスに縛られているというだけの理由で、
20年くらいずーっとできずにいたっていうのが、
ホント、
驚きで、



人生というのは、
30歳までに敷いてしまったレールに乗って、
淡々と続いていってしまうんだなあ・・・




同じ事を続けるというのは、
努力であり、
才能であり、
幸運であって、
恩恵であるんだけど、




同じく、
そういう日常のルーティーンから解放されるというのもまた、
天から与えられたご褒美みたいなものなのよね・・・




Victoriaでした。 

こんにちは。Victoriaです。

今日、
あたたかいメッセージいただきまして、



母がガン治療中なんですけど、
そんなこんなで大変な中、
ムリしないでくださいねって言っていただいて、



ホントに、
ほっこりしました。



今までにも、
大変でしょうけどムリしないでくださいねって声かけられたことは何度かあるんですけど、




だいたいそういう時って、
ホントに大変な時で、




大変さというのは、
他人に伝わるものなんだなあ・・・と再認識。




特に、
あんまり深いおつきあいがあるわけじゃない方とか、
軽くごあいさつしただけくらいの方が何気なくおっしゃることの中に、
案外本人も気づかない真実があったりします。




時候のあいさつとか、
ご機嫌伺いって、
わりと大切なんですね。



自分も、
誰かにお声がけするときには、
気を付けようと思います。





最近、
自分でも変わったなと思うのが、
街で高齢の男性見ると、
すごくやさしくしてしまうんですね。



どんなに弱ってるように見える方でも、
父に比べれば元気なんだなあ・・・とか思うと、
何か他人事じゃないというか、




杖ついてゆるゆる歩いている方にとって、
自分の足で歩けるということが、
どんなに意味のあることなのか、




ゆっくりメニューを選んでいる方たちにとって、
今ここで食べられるということがどんなに大きいことなのか、




恥ずかしいことなんだけど、
我が身に降りかかるまで、
人が老いるということが、
どんなに大きな変化をもたらすかなんて、
考えたことなかったし、




人ひとり亡くなると、
人間関係がこんなにがらりと変わってしまうなんて、
今まで自分は、
いっぱいドラマ見たり小説読んだりしてたけど、
全然学んでいなかったんだなあ・・・と、




そんなこと考えている間に、
桜も散ってしまい、
もうゴールデンウィーク・・・




去年は、
ホント、
いろいろと大変で、
何が大変って、
環境がめまぐるしく変わるので、
それについて行くのに精一杯で、



私、
結構飽きっぽいし、
もういいやって思うと、
結構簡単に投げ出してしまうから、
途中でイヤ気がさしたりしないよう、
自分をなだめつつ何とかやりくりしたっていうのが、
本当のところ。




今年は、
今のところ、
多少余裕があるというか、
自分のやってることを、
小刻みに振り返ることができるので、
同じ事をやるにしても、
去年の倍くらいていねいにやりたいと思っています。




うすうすわかってはいたんだけど、
自分のおおざっぱなところが、
物にこだわらないといういい面もありつつ、
平気で人を置いてきぼりにするという欠点でもあることが、
ホントにはっきりしてきたので、
そういうところは、
やっぱり直していかないといけないなと、




年を重ねてくると、
瞬発力が落ちてくるので、
それを補うには、
ていねいな仕事をするしかないだろうって、




ここまで気づくのに、
どんだけ高い授業料払ったんだか、




人生道場はまだまだつづく・・・





Victoriaでした。
 

こんにちは。Victoriaです。

こころ
夏目 漱石
2012-09-27





夏目漱石の「こころ」は、
漱石作品の中でも、
キライな人が多いんじゃないかと思う。




レビュー見てても、
暗い気持ちになったとか、
後味悪いとか、
ネガティブなコメント多し。




だけど、
なぜだか学校の国語の先生には、
「こころ」イチオシの方が多かったりして、
ま、いろいろと、
恋にまつわる悩みが深い人にはウケがいいのかもしれない・・・



夏目漱石が、
恋の達人だったとは思われないので、




なんでも、
生涯奥さん一人だったらしいから、




でも、
先生の手紙読んでると、
すっごく身につまされる部分があるから、
そこをちょっと突っ込んでみたいんだけど、





本日のお題 : なぜ男は好きな女に本音を話さないのか?




 
なぜなんでしょう?




たぶん、




言ってもわからないから。




が答えなんじゃないかな?




あるいは、




いや、本音って、
悩みの根源はお前なんだから、
本人に言えるわけないだろ?





 
とか?




「こころ」でも、
先生の親友Kと先生は、
二人とも同じ女性を好きになるんだけど、




どう見ても、





初めて女性を好きになった自分の気持ちにどう折り合いをつけていいかわからず、
あたふたしてるうちに、
人生まで収拾つかなくなっちゃった





 
って感じで、
いや、
恋愛でしょ?
相手がいるんでしょ?




だったら、
まず、
相手の気持ちを確かめてから悩もうぜ!





とか、
めっちゃ思ってしまうんだけど、




Kの場合は告白するとこまで行かなかったからしょうがないとして、




先生の場合は、
結婚までしたわけでしょ?





とりあえず、
何言っても、
相手は逃げていかない下地はできてるわけなんだから、
もうちょっと、
何でも話せばいいのにね・・・





男女の会話って、
相手の聞きたがってることを言ってあげるっていうのが、
すごく大事だと思う。




そこが、
同性の友達との会話と違うところかな・・・




特に、
付き合いはじめの頃は、
お互い相手のことよく知らないから、
言葉が足りなくて、
誤解することも多々あるし、




言いたくないことだって、
あるわけで、




そんな時、
相手が聞きたがってることを察知して、
それを口に出してあげるっていうのが、
愛情表現なんじゃないか、





「こころ」では、
先生が何かに悩んでることは、
先生の奥さんも気づいていて、
何度も泣いて「話してください」って頼んでいるんだけど、




そこで、
先生は、
正直に拒否しちゃってて、





あれはよくないよね、





夫婦間で、
あれはルール違反だと思う。




何も、
すべてをしゃべる必要はないのよ、




ただ、
奥さんが知りたいのは、
自分が何かしたのか?
先生の悩みは、
夫婦関係を維持することを難しくするほどのものなのか?
結婚後に人が変わったということは、
何か結婚がひきがねなのか?
そういうことなんだから、





そこんとこだけ、
言葉を尽くして説明してあげれば、
あんなことにはならなかったのに・・・





結局、
先生は、
奥さんを欺き続けることに耐えきれなくなって、
死んでしまったわけだから、




先に死んでしまった親友をも欺き、
奥さんをも欺く二重の罪を犯してしまったら、
もう逃げようがない・・・





せめてもの償いに、
私(語り手)にはホントのことを最後に打ち明けたわけだけど、
やればできるじゃん、
もっと早くやっていれば・・・





人というのは、
自分に愛情を示してくれる人を欺くことに耐えられない動物なんだな・・・






Victoriaでした。




 

こんにちは。Victoriaです。


こころ
夏目 漱石
2012-09-27






先生は、
どうして結婚したんだろう?





親友のKに、
下宿先のお嬢さんが好きだって打ち明けられて、
実はその時点で、
先生自身もお嬢さんのことが好きで好きで、
親友に打ち明けたいと思っていたわけだけど、




先に言われちゃって、
言い出せなくなってしまい、
親友に言うかわりに、
いきなりお嬢さんのお母さんに「ヨメにください」って、
驚きの告白してしまうっていう、
なかなかな急展開なんだけど、





これって、
わかるな~、




恋愛初心者で、
奥手な人ほど、
いざとなると、
いきなり駆け引きなしで、
大胆な行動に出てしまうっていうのは、
実際ある。




いろいろ、
自分がこう言ったら、
相手がこう言って、
そしたら今度は自分が・・・とか、
ごちゃごちゃ考えてると息苦しくなってきちゃうから、





だったら当たってくだけろで、
正面からぶつかってみろって思っちゃう。




それで、
清水の舞台から飛び降りてみると、
案外、
うまくいくっていうか、
状況そのものが動き出して、
そうなると、
逆に止めたいと思っても、
もう動き出した人の心はとまらない・・・





先生が結婚したのも、
勢いでお嬢さんのお母さんに言ってみたら、
案外すんなり受け入れられ、




たぶん、
お母さんも、
年頃のお嬢さんのお婿さん捜しの意味も含めて、
書生を置いていたんだと思うけど、




大学出の人で、
信用できそうな人なら誰でもいいわ的なノリだったんだと思う、





そんなこんなで、





あんまり自分の行動の影響について考えるヒマもなく、






コクってみたら受け入れられて止める理由もないので結婚しちゃった




 
というのがホントのところかな・・・





恋愛すっ飛ばして結婚するって、
意外と簡単なのよ・・・





Victoriaでした。 

こんにちは。Victoriaです。

さて、
夏目漱石『こころ』といえば、
高校の国語の教科書に必ず載ってるので、
一応、誰でもあらすじは知ってることになっており、




国語の授業の最後には、
感想文を書かされることも多いわけですが、




生徒はわりとおもしろい感想書いたりしてるんだけど、
まじめくさった先生に、
どこまで三角関係の愛憎のドロドロに踏み込めるのか、
多いに疑問で、





学校の先生には三角関係体験者が意外と多いのかもしれないが、




 
高校の国語の授業というのは、
なかなかに大変なものなのだなと・・・




古典とか、
もっとドロドロだもんね、
源氏物語とか、
濡れ場しかないし・・・





こころ
夏目 漱石
2012-09-27





読んでみて思ったのは、





「先生」みたいな考え方する男の人は結構いるよねってことで、




肝心の相手の女抜きで、
どんどん話がふくらんでいく(つまり自分の恋心を哲学的に分析してると止まらなくなっちゃう)人は、
実際に見たことあるので、
なるほどねって感じだけど、




先生の親友のK(恋に破れて自殺しちゃう人)は、
相当変わってるよねってことです。





Kという人は、
いろんな意味で普通じゃない。




なので、
そういう人にひきずられて、
自分まであの世に行っちゃった先生は、
明らかに生き急いだ感がする。





Kが死んだ後、
積極的に世間との関わりを持たないようにしていた先生が、
この世にいないKとのスモールワールドを作って、
その中に閉じこもってしまったために、





現実の世で、
自分と関わりを持とうと必死になってくれた奥さんとも、
来るなと言われても来続けた「私」とも、
リアルなつながりを持てなかったことこそが、
悲劇なんじゃないか、





これは全然三角関係の話なんかじゃないですね・・・




Victoriaでした。
 

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