Victoriaの日記

Victoriaのつれづれ日記です。

カテゴリ:日記 > 教育

こんにちは。Victoriaです。

今日、
生徒の卒業式がありまして、




留学したので、
今頃卒業式なんだけど、




枠にはまらない子だったので、
どこへ行ってもぶつかって、




ロクなことにはならないと、
幾多の教師に宣告されながらも、
歯を食いしばってがんばって、
ようやく自分のやりたいことみつけて、




よくがんばったよ。




進路で迷いだしてから、
早十年。





苦節十年とは、
このことだと感慨深し。




帰国したら、
一緒に酒飲もう。





Victoriaでした。 

こんにちは。Victoriaです。

教師というのは、
教師であるというだけで暴力的な存在で、




なんのかんのいって、
教室で唯一の権力者だから、
生徒というのは、
息を潜めて教師の言動を見守っていたりする。




教師も人間だし、
全方位的に、
クラス全員に同じ量の気配りなんてできやしない。




それはわかっているんだけれども、
何かの拍子に、
自分のことがすっぽり忘れ去られていたことに気づくと、
生徒は傷つくもの。




今日、
終業式があって、
夏休みに全国大会に出場する生徒達が壇上に呼ばれ、
がんばってくださ~い!と全校生徒から拍手を送られたんだけど、




呼ばれなかった生徒たちがいて、




明らかに、
担任のミスで、
リストを提出していなかったんだろう。




後で、
ゴメンねとフォローがあったわけでもなく、
忘れ去られた生徒がいたこと自体に、
その担任は全く気がついていなくて、




もしも、
僕たちも出ますってその場で名乗り出れば、
ああ、ゴメン、ゴメンで済んだ話なのかもしれないけれど、




日頃から、
この担任と名前を呼ばれなかった生徒達の間では、
いろいろとあって、




この担任は、
実は彼らの部活の顧問でもあるので、
担任しているクラスの生徒たちを忘れただけでなく、
自分が顧問やってる部活の生徒たちを忘れたというド忘れが重なったんだよね。





担任=顧問が生徒の存在を忘れていたため起こった事件は、
実は今日に始まったことではなく、
長いリストができるくらいいろいろな歴史があり、





部室の鍵を渡すのを忘れて帰ってしまって、
生徒たちが部活できなくなったなんてのは序の口で、





部活でミーティングするからと、
部員、全員が部室で待てど暮らせど先生が来なくて、
しょうがないから手分けして探したら、
先生は、補習中。




先生、
みんな部室で待ってるんですけど?





「あ、今日は、補習あるから部活はなしね」





の一言で、
さっさと補習に戻っていく先生。





できない生徒がいるとマメに補習する、
いい先生だと評判で、
一部のお気に入りの生徒たちには、
ホント、
親身になって相談にのったりしてるんだけど、





まあ、
えこひいきだよね、これも。





当の生徒たちは、
もうこんな先生には慣れっこで、
めげずに元気に部活やってるけど、




だったら、
全部、お前たちでやれ!っていって、
生徒に任せてくれるならまだましなんだけど、
先生抜きでは練習するな、とか、
権力(=部室の鍵)は渡さない!ってところは、
頑固なんだなあ。





学校生活は、
担任の先生の当たり外れで、
生徒の一年間が、
楽しいものになるか、
悲惨なものになるかという、
当たるも八卦当たらぬも八卦みたいなところがあって、
それも、
人生の縮図とはいえ、





学校というのはホントに理不尽なところだよなあ・・・






Victoriaでした。

















 

こんにちは。Victoriaです。

2015年7月5日(日)は、
英検の二次試験の日で、
合格すると、
推薦入試に有利になるとかいろいろな特典がついているため、
英語が得意な生徒も不得意な生徒も、
大挙をなして受けに行ったわけですが、




ペーパーテストは点数が開示されていて、
何の疑義もありませんが、
面接に関しては、
不合格になった場合、
何がダメだったのかよくわからず、
本人に不満が残ることがよくあります。




まあ、テストってのは、
そういうものだから、
また、次回がんばりな!と言って、
再受験させるわけですが、
今回、
あまりにもあまりな報告を受けたので、
別に告発するわけじゃないけど、
備忘録として書き留めておきます。





英検のクエスチョンってのは、
もう、決まったパターンがありまして、
だからこそ、
しっかり準備していけば通るわけですが、




試験翌日、
生徒が半泣きで、





クエスチョンを一個、とばされた!!!!!






 
はあ?
どういう意味?
言ってる意味がわからないよ?





つまりですね、
試験官の先生が、
4問ある問題のうち、
一問(しかも、第一問を)を、
とばしてしまったって言うのよ。





はあ?
いや、
それだったら、
一体どうやって採点したっていうのよ?





もうね、
これは緊急事態だと思って、
生徒に、
英検の本部に電話させました。





これこれこういう事情で、
私は問題を一問とばされて、
答えてないんですけど、
どうしましょう???





ってね、
何度もリハーサルさせて、
いざ、
呼吸を整えて、
電話させたら、





まあ、
電話はつながって、
係の人は親切に調べてくれたんだけど、





ちゃんと、全問に得点がついてるから、
とばされてはいないみたいですよ~
心配しなくても、
受かってるみたいですし~






・・・とまで、言われたら、
もう、それ以上、ねばる理由もないので、
電話切りましたけど、





いやあ、
この試験会場ね、
昔からずーっと、
試験会場になってる学校(中高一貫校)の英語の先生が試験官やってて、





とにかく、
採点がゆるい会場として有名で、





まず、
この先生の英語が、
めっちゃジャパングリッシュで、
ほとんど、
日本語会話にしか聞こえないし、





この会場で受けた生徒で、
落ちたヤツ知らないんだわ、





思うに、
試験官の先生、
生徒がしゃべってる英語が、
よく聞き取れないんじゃなかろうか。






別の会場で、
とにかく採点の辛い試験官もいて、
この先生にあたると、
これまた、
みんな落ちるっていう定評があって、
まあ、それよりはいいんだけれども、





英検二次試験の試験官の質は、
どうやって担保しているんでしょうか?








英検も、
タダの英語の資格試験に過ぎなかったのが、
今では、
受験の要件として堂々とまかり通ることになっており、
そういうことを考えると、
ここで、
不正とまではいかないけど、
必ずしも公平ではない採点がされているとなると、
問題だと思う、いろいろと。






英語の先生たちの、
いいバイト先みたいになってるけど、
ちゃんと研修とか受けているのか、
採点基準のすりあわせとか、
ちゃんと行われているのか、
めっちゃ心配・・・






とにかく、
英検の試験官になってる先生は、
学校内でもわりと発言力のある方が多く、
試験前に自校の生徒達の面接指導を行う時にも、
パワハラ寸前の辛いコメントをビシバシ放ったりして、





これ以上、
英語ギライを作ってどうするんだよ???






Victoriaでした。 

こんにちは。Victoriaです。

子どもって怖いなと思うのは、
成長過程のどこかで、
親など自分を育ててくれた人の愛情を値踏みするんだよね。





そして、
恐ろしいことに、
愛情の多寡ではなく、
自分にとって都合のいい人を選んで行くんだよ、





子どもは決して大人に義理立てすることはないってことなんだろうけど、





自分を振り返っても、
まさに損得勘定だけで生きてきた人間だから、
捨てる、捨てる!
恩師と呼ぶべき人を、
どんどん気持ちの中で整理してきたから、
いざ、
自分が同じことされたからって、
文句は言えないんだけど、






ずるいことに、
子どもって、
大人の愛を確かめるため、
いろいろと仕掛けて来るんだよ、





この人なら、
秘密を守ってくれるだろうか、とか、
悪いことしても見逃してくれるだろうか、とか、






いくらまでなら出してくれるだろうか?






親が、
子どもの要求に応えるのに疲れて、
縁を切るってのは、
よく聞くことだけど、





あれは、
縁を切るってとこまでやらないと、
放電しすぎた愛情ビームがやばいことになるからだと思う。






親だって人間だし、
愛情は枯渇しますよ、






銀行口座はそれよりもっと早く底をつく。






親子の愛も、
絶対ではなくて、
どっかで自己防衛のために線引きしないと、
親の方が気が狂ってしまう。







子どもだってそれは同じで、
親からの要求に、
何もかも答えていたら、
それこそ、
摂食障害になったり、
薬物中毒になったり、
いろいろ大変・・・






そう考えると、
別れるということが折り込み済みの男女の恋愛なんて、
愛の中で、
もっともグレードが低いのかも・・・






Victoriaでした。
 

こんにちは。Victoriaです。

愛なんて、
適当なところで撤退すべきだなって、
つくづく思うんだけど、





別に、
男女の恋愛感情に限らず、
師弟愛とかも含め、
愛があるからこそ、
相手のために黙って奉仕するって苦行(いや、苦行だよ、ゼッタイ)に耐えることができるけど、
じゃあ、
耐えたからって、
相手がそれに気づいてくれるかっていったら、
ほとんど無視。






結局、問題になるのは、
アウトプットだけであって、
プロセスは相手には関係ないです。





まあね、
向こうも苦行に耐えてる時、
ああ、この人もボクといっしょに耐えてくれてるんだなと思うことが、
苦しみに耐えることをいくらかラクにしてくれるって効果はなきにしもあらずだが、
それより、
苦行そのものをラクにしてくれる人(例えば、機械化するとか車買ってくれるとかね)の出現の方が、
ナンボか嬉しい、
そういうものなんだと思う。






私は、
ずーっとここんとこ、7年くらい、
わりと個性的な子どもにつきあってきて、






枠にはまらない子なので、
気持ちを上げて、
勉強したいレベルに持っていくまでが大変で、







まあ、それを、
親は、






「やればできる子」






という一言で済ますんだけどね、






「やれば」ってのが、
どんだけ大変か、






それで、
いろいろ紆余曲折を経て、
やっと受験生にまで成長し、
あとは、
人並みの受験勉強をこなせば何とか・・・というところまで持ってきたところで、






あの先生はムダが多いからもう行くな。







いや、
壮大なムダを経て、
やる気スイッチを入れるのに腐心してきたんじゃないか、






だけど、
そう思い込んで切られちゃったら終わりで、






さすがに、
愛を全開で取り組まないとできない案件だったので、
放電しきった愛情ボックスにどう折り合いをつけるのか、
大変ですわ・・・





一体、
何だったんだろうって、
普通、思うよね、







こういうの、
男女の恋愛でもよくあるけど、






下積み時代にさんざ、ダンナに尽くしてきたのに、
売れたらポイ!されるヨメ、みたいなね、






あれ、もうしょうがないんだよね、
ダンナは住む世界が違っちゃって、
ヨメに感謝はするけど、
もう一緒に暮らせないっていうところに行っちゃうわけでしょ?





それで、
そういう時には、
必ず、
乗ってる男にふさわしい女がくっつくってのが人生の常、






引き際をキレイにするのが、
せめてものプライドの保ち方、っていうね・・・






宗教が必要になるのは、
そんな時だなとつくづく思う。






もうね、
私も撤収したっていいんだ、いつでも。






そこまで、
 自分のやってきたことに拘泥する気もないし。







だけど、
どこまで子ども本人に伝えるべきかっていう、
最後の仕事が残ってる。






何も言わず、
黙って踏み台になるのがベストなんだろうけど、







一言、
何か言ってやりたい気もするし。







ホント、
愛というのは、
ない方が後腐れがなくていいけど、







愛がないとやれないことも多い。






こういう時です、
もういい加減、
教育産業から撤退したくなるのは・・・







Victoriaでした。
 

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